2005/04/07 (木)

エルバート・ルータンの宇宙船企業 (下)

世界初の民間宇宙飛行を達成したその瞬間に操縦席に座り天空に駆け上がったのは、64歳の英雄Mike Melvill氏だった。Melvill氏は気難しいが冷静に仕事を遂行するという、南アフリカで生まれた気質を体内に宿している。

Melvill氏がルータンの会社に入ったのは1978年で、まだルータンの会社がRutan Aircraft Factory (RAF)と呼ばれていた時だ。その27年後、彼は世界で最も有名なパイロットとなった。それは、彼の人生を全く変えてしまった。「私は、あらゆる所でプレゼンテーションをすることになったよ。」

もう一人のSpaceShipOneのパイロットであるBrain Binnie氏と共に、Melvill氏はこの時代の最も影響力があるミッション成し遂げた。宇宙開発における国家の独占を崩し、NASAの官僚政治による影響で消沈した宇宙旅行への人気の炎を再び点火したのだ。その次に来るものは何なのか?

Virgin Galacticで働く一人に、Stephen Attenborough氏がいる。Attenborough氏は民間組織で働いてきたが「世界で最もベストな仕事」を見つけ、Virgin Galacticの宇宙旅行者との交渉担当者になった。彼の仕事は当初想定していたモノとは違った。大金持ちだけを相手にするインターネットによる細々とした受け付けの仕事と考えていたのが、21,000人もの人々から次々と予約が殺到したのだ。
「問い合わせてきた全員が高い財産を所有する人々であるとは思いません。私の仕事は、単なる熱狂者と本物の長期のクライアントとを見分けることです。およそ33%の申込者はアメリカ人で、イギリスからは15%、他に南アフリカ、オーストラリア、カナダ、フランスと世界中から申し込みがきており、行列ができています。」

ルータンにとっては厄介かもしれないが、一番最初の飛行は2008年の春に予定されている。まず最初は1機のみで運営し、これに5人が搭乗する。ブランソン氏は、「NASAは、多くの人類を宇宙へ運ぶことにこれまで興味がありませんでした。それは、非常に閉鎖的で、特権的なショップでした。この50年でおよそ400人だけが、宇宙飛行士になりました。 私たちは、最初の一年で1,000人の宇宙飛行士を誕生させます。」と非常にエキサイトしている。
これに対して、ヴァージンのプログラムマネージャーのアレックス・タイ氏は異見を述べる。「ノー、ノー。私たちは最初の年は週に1便で始めるので250人くらいです。運用を通して安全と信頼性を確実なものとしてから事業を拡大させます。」
どちらにしてもゴールは日に一度の飛行であり、そこから価格は下がり始める。
ブランソン氏は言う。「大部分の人の孫は、宇宙に行くことができなければなりません。私達の計算が正しいならば、100万人が宇宙へ行くことができる余裕を持っています。タクシードライバーも、宇宙に行くことができるでしょう。」
ルータンはスペースポートがモハーベであることを望んでいる。フロリダなどと違い、雨が降らず天候が安定しているためだと言う。だがイギリスとオーストラリアのあらゆる州が、ヴァージン・ギャラクティックのビジネスを得ようとしているようだ。

ルータンは狼狽と軽蔑でスペースシャトルに起因する麻痺の時代を見ている。そして国家の独占が崩れた今、本当の宇宙の黄金時代が始まろうとしていると考えている。「1908年に、ウィルバー・ライトはパリの近くで彼の飛行機を飛ばしました。そして、全世界がそれに違う見方をし始めました。デイトンの自転車ショップを経営している彼らにできるなら、自分にもできるはずだ、と。それから4年以内に、異なるタイプの何百もの飛行機が、39カ国でつくられました。500機の飛行機を建造した2つの工場がパリにはできました!4年で世界は変わったのです!!」
その4年のような何かが、宇宙で始まろうとしているのかもしれない。そしてそれは、ルータンをロケットのウィルバー・ライトにしようとしている。



※写真はScaled Composites社のHPより

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The Sunday Times Magazine